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『明治→大正→その次は??』
2023年11月17日
令和5年もあと少しで終わりですね。つい最近、令和に改元したばかりな気もしますが・・・月日が過ぎるのは本当にあっという間に感じます。
さてこの『元号』ですが、現在は天皇一代に限り一つの元号を用いる制度となっています。しかし昔は新天皇の即位以外にも、地震・火災・干ばつ・疫病・彗星の出現など、様々なことで改元が行われていました。今回は、『えっ、そんな改元ってある!?』というものをご紹介します。
明和の大火・・・江戸時代中ごろ、『明和(めいわ)』という元号が使われていました。明和9年、大火事で1万人以上の人が亡くなったり、たくさんの災害が起こったりしました。悪いことばかりが起こるのは、『明和9年=迷惑年』だからだ、と考えられ、なんとすぐに元号が変えられてしまいました。
余談ですが、奈良時代には『天平感宝・天平勝宝・天平宝字・天平神護・神護景雲』という4文字の元号も存在していました。現在は昭和54年に制定された元号法により、元号は2文字と決められています。
ところで皆さん、元号の中で、一番長く続いたものは何だと思いますか?
そうです。平成の一つ前の 『昭和(しょうわ)』なんです。なんと64年も続きました。
しかし!
大正から変わる新元号は『昭和』ではなく、『光文(こうぶん)』であったと言うお話があるのをご存知でしょうか?
大正天皇が12月25日の未明に崩御した数時間後、ある新聞社が『新元号は光文』と、いち早く号外を出しました。しかし、その日のお昼ごろ政府が発表した新元号は、なんと『昭和』だったんです。
結果、世紀の大誤報となってしまいました。本来『光文』だったものを、新聞社が先に報道してしまった為、政府が『昭和』に切り替えた、と言われています。また、当時、枢密院で秘密裏に元号の選定に加わっていた方が、1956年にNHKの番組で、
「大正天皇崩御の際、次代の元号は私の選んだ『光文』と決まりましたが、事前に新聞に発表されたため、『昭和』になりました。」
とも証言しています。
しかしこれは正式な発表ではない為、本当のところは現在でも謎に包まれたままとなっています。
令和6年の共通テストまで残り2ヶ月を切りました。KATEKYOはどんなときでも、全力で応援します!
藤枝駅前校 パワフル先生