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生誕100周年!水木しげると日本の妖怪の歴史を探ってみよう

2022年09月14日

 

2022年の今年、漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげるが生まれてから100年目の記念の年にあたります。そこで、今回は国民的漫画家といえる水木しげるの生涯と日本の妖怪の歴史について紹介します。

水木しげるってどんな人?

いまでも人気の高い妖怪漫画「ゲゲゲの鬼太郎」は、墓場から生まれた幽霊族の少年・鬼太郎が多種多様な妖怪たちと繰り広げる物語。1954年の紙芝居から始まり、漫画、ア二メ、映画、小説、ドラマ、ゲーム、舞台など、半世紀以上にわたって様々な関連作品が作られ続けています。

 

その作者である水木しげるは、漫画家以外にも紙芝居作家、妖怪研究家としての肩書があります。

1922年(大正11年)に大阪で生まれ、鳥取県境港市で育ちました。幼少時、神仏に仕える拝み屋の妻で、家政婦として家に来ていた景山ふさが語り聞かせた妖怪話を聞いていたことが妖怪へ興味を持つきっかけになったようです。ちなみに、水木しげるという名前はペンネームで、本名は武良 茂(むら しげる)です。

 

現在の中学校2年生にあたる高等小学校卒業後、画家を目指して大阪で働きながら学びました。やがて徴兵年齢に達し1943年に召集され、大日本帝国陸軍軍人として第二次世界大戦下のニューギニア戦線・ラバウルに出征。過酷な戦争体験を重ね、アメリカ軍やオーストラリア軍の攻撃で左腕を失いました。一方で現地民のトライ族と親しくなり、本人はニューブリテン島に残ることを考えたようですが、周囲の説得で日本へ帰国しました。

 

帰国後は生活が苦しく、画家の修行を諦めて生活のために始めた紙芝居作家を経て上京。1958年、貸本漫画『ロケットマン』で貸本漫画家としてデビューしました。1960年から断続的に漫画『墓場鬼太郎』シリーズを発表しはじめ、今につながる人気作品へと成長していきました。

 

2015年に93歳で亡くなりましたが、亡くなる直前までビッグコミックで「わたしの日々」という連載漫画を描いていました。90歳を超えて連載作品を持つ漫画家は異例だそうです。

 

水木しげるは妖怪漫画家だけではなく戦争についての漫画も描きました。

それが1973年に執筆した『総員玉砕せよ!』です。作者の戦争体験と実話に基づいた戦記作品として、アングレーム国際漫画祭遺産賞、米アイズナー賞最優秀アジア作品賞を受賞し、海外でも高い評価を得ました。

 

「ゲゲゲの鬼太郎」のほかにも、「妖怪人間ベム」「幽遊白書」「妖怪ウォッチ」「鬼滅の刃」など、妖怪をテーマにした作品は作られ続けています。なぜこれほどまでに、私たち日本人の間で妖怪が人気なのでしょうか?ここからは、日本における妖怪の歴史をみていきましょう。

そもそも妖怪とは?

妖怪とは、人間の理解を超えた科学では説明できない、超自然的な現象や存在のこと。科学や医療が発展していない時代の人々にとって、災害や病気はとても「不思議」なできごとでした。昔の人は、こうした超常的な事象を妖怪のしわざとして理解していたようです。

 

古くから日本には、あらゆるものには神が宿る「八百万の神」の考え方があります。

妖怪と神様はかなり近い存在で、嵐や地震などの直接的に怖ろしい出来事には「神様」、よくわからない不気味な恐怖には「妖怪」を当てて納得していたのかもしれません。

妖怪の歴史

日本で最初の妖怪は、奈良時代に書かれた「古事記」や「日本書紀」に登場した大蛇(ヤマタノオロチ)や鬼が起源とされています。

 

陰陽師が活躍した平安時代には、「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」に鬼や妖怪が行進する百鬼夜行など、妖怪にまつわるエピソードが盛り込まれています。この時代の書物には妖怪についての説明があるのみで、姿かたちまで描いたものはまだありませんでした。

 

鎌倉時代〜室町時代には、物語絵や絵巻物が制作されるようになり、妖怪の姿かたちが表現されはじめました。室町時代の作品である「付喪神絵巻(つくもがみえまき)」には、小道具たちが捨てられたことに腹を立て、妖物に変化した様子が描かれています。

 

江戸時代に入ると、妖怪ブームが到来。幽霊や妖怪を描いた浮世絵が多数創作されました。菱川師宣や歌川広重など、江戸時代を代表する浮世絵師の作品にも妖怪が登場しています。

 

浮世絵にはおどろおどろしい妖怪から、かわいいキャラクターのような妖怪まで登場し、大衆文化として浮世絵とともに妖怪の人気も広がっていきました。

 

江戸時代は妖怪を輸入して食べていた⁉

妖怪と言えば“よくわからない不気味な恐怖”を感じる対象のはずですが、なんと江戸時代には妖怪を食べるのは健康に良いとされ、食品として輸入されていました。

 

当時人気の妖怪輸入食品ベスト3は、ユニコーンの角・ミイラの肉・人魚の干物で、いずれも万病に効き、長寿を得られると人気だったようです。実際に、人魚の干物を紹介する輸入商店のチラシが残っているそうです。また、江戸時代の蘭学者、大槻玄沢が出版した「六物新誌」という科学書にも人魚・ミイラ・ユニコーンが食べ物や薬として紹介されています。

 

食品としての妖怪の人気はいつの時代までのことだったか定かではありませんが、その後も現在まで、妖怪の人気は漫画やアニメなどさまざまな形で続いています。

 

以上、今回は水木しげると妖怪についてみてきましたがいかがでしたか?

私たちの前に妖怪が現れてから早1300年以上。夜でも明るい場所が増え、科学も進歩した現代では、自然界の中で妖怪と捉えられていた“よくわからない不気味な恐怖”を感じることが昔より少なくなってきているかもしれません。

 

一方で、私たち人間社会で、昔では考えられないような理解しがたい犯罪が増えてきているようにも感じます。もしかしたらこの先の妖怪のモチーフは、自然界ではなく人間の心の中から生まれるものになってしまうかもしれません。

 

アニメ「妖怪人間ベム」は、人間になりたいと願う妖怪の物語でした。これからも人間が妖怪たちの憧れであり続けられるように、自然や周囲の人たちに思いやりを持って、胸を張って「人間」をやっていきましょう!

 

おまけ:

2023年秋には、ゲゲゲの鬼太郎の新作映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」が公開されるそうです。

興味がある方はこちらをご覧ください。

https://www.toei-anim.co.jp/kitaro/news/2022030601.php

 

参考サイト:ナンスカ

参考書籍:アラマタヒロシの妖怪にされちゃったモノ事典

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