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音楽の基礎!クラシックの歴史と進化系音楽家ボカロPとは?
2022年11月16日
芸術の秋、いかがお過ごしでしょうか?
平成の前半頃、音楽は気に入った曲を1曲ずつ、もしくはアルバムとして複数曲をまとめて購入するものでした。令和になり、サブスクリプションという定額で料金を支払う形式がさまざまなジャンルのサービスで定着し、音楽もまた、1曲ずつ選んで購入するのではなく、デジタル音源を聴き放題で楽しめるのが当たり前になりました。
今回は、そんな令和時代の音楽を楽しむ人にも知ってほしい、音楽の礎となったクラシック音楽の変遷と、進化系の音楽家について紹介します。
17世紀初頭。この頃、クラシック音楽の歴史が本格的に始まりました。
それまでは教会の宗教儀式で演奏されていた音楽が、宮廷でバレエやオペラが流行したことにより、貴族のために演奏されるようになりました。
「音楽の父」と呼ばれ、数々の名曲を生み出したヨハン・ゼバスティアン・バッハもこの時代の人物です。
1750~1820年頃。クラシック音楽の形式はほぼ完成を迎えます。
それ以前は、音楽家は教会や宮廷に所属しているのが当たり前でしたが、この頃からフリーの音楽家が誕生。楽器の性能がさらに向上し歴史に残る交響曲が次々に発表され、パリやロンドンで演奏会が開かれるようになりました。演奏会や楽譜の出版で、音楽が「商品」として認められるようになりました。この時代で有名な音楽家と言えばルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンがいます。ベートーヴェンは生涯一度も誰かに召し抱えられることはありませんでした。
ここで少し、ベートーヴェンにまつわる逸話を紹介します。彼は生涯で70〜80回も引っ越しをしたといわれています。頻繁に引っ越した理由は、掃除が苦手だったから。散らかすだけでなく、そこら辺で用を足すなど、驚きの暮らし方をしていました。その他、音楽のインスピレーションを得るためとか、ご近所トラブルが絶えなかったからなど、さまざまな要因で引っ越しを繰り返していたようです。
1820~1850年頃は、クラシック音楽がより大衆に根付いた時代です。
一般家庭にピアノが普及したことにより、大衆にとってクラシック音楽がより身近な存在になりました。私的な小さな演奏会も流行し、有名なピアノ小品が数多く生まれました。
また、音楽評論雑誌の誕生や他の芸術から着想を得て作曲される標題音楽が誕生するなど、音楽の幅が広がっていきました。ロマン派を代表する音楽家のひとりに、フランツ・リスト
がいます。容姿端麗であったリストはピアニストとしての演奏技術も高く、そのパフォーマンスに女性ファンが失神したとか、忘れていった手袋が奪い合いになったなどの逸話も多くあります。まさに現代のアイドルのように熱狂的な人気を博していたようです。
ここまで、クラシック音楽の歴史を紹介してきました。クラシック音楽とは、おおまかにいうと宗教音楽から貴族のための娯楽、そしてエンターテイメントとして庶民へ広がっていったことがお分かりいただけましたか?
ここからは、進化した現代の作曲方法を紹介します。
1988年、世界で初めてローランドから「ミュージくん」というデスクトップミュージックシステムが発売されました。デスクトップミュージック(DTM)とは、従来のように楽器を使ってレコーディングするのではなく、コンピューターを使って机の上で制作された音楽のことです。パソコンのキーボードを叩くだけで楽器の音を再現するだけでなく、あらゆる電子音を作り出すことができることから「打ち込み系」とも呼ばれます。楽譜を読めなくても、楽器の演奏技術がなくても曲作りを楽しめるようになりました。
最近では、DTMで制作した曲を手軽にインターネットで公開できるので、そこからSNSなどを通じて人気に火がつくことも多くなってきました。
DTMは作曲ソフトですが、さらに音声合成ソフトを使用すると、音声もデータ上で作ることができるため、歌手がいなくても歌入りの曲を完成させることができます。音声合成ソフトを使用した楽曲を使用して曲を制作する音楽家はボカロP(ボカロピー)と呼ばれています。有名となったシンガーソングライターの「米津玄師」も「ハチ」というボカロP名で曲を発表していました。
DTMはパソコンを使用する作曲ソフトですが、今ではさらに簡単に、スマホひとつで作曲ができるアプリが多数出てきました。このようなアプリの登場により、外出先など思いついたときに、誰でも気軽に曲が作れるようになりました。無料で使える作曲アプリもありますので、興味がある方はチャレンジしてみてください。
以上、今回はクラシック音楽の歴史と令和の作曲方法を紹介してきましたがいかがでしたか?もしバロック時代の音楽家が現在の作曲方法を知ったらさぞかし驚くことでしょうね。
参考サイト:クラシックなひと時、とりぐら