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KATEKYO知恵袋

その使い方、本当にあってる?正しい日本語の意味【7選】

2023年04月13日

突然ですが、皆さんは日本語を正しく使えていますか?

日常生活のなかで何気なく使っている言葉が、実は全く違う意味が込められていたとしたら…知らず知らずのうちに誤った意味でそれらの言葉が世の中に浸透しているとしたら。

 

今回は、誤って認識している日本語について正しい意味とその由来を知っていきましょう。

 

辛党(からとう)

「私、辛党だから辛い食べ物が好きなの!」

ちょっと待ってください。その使い方、本当にあっていますか?

「辛党」は、決して「辛いものが好きな人」という意味ではありません。正しくは「酒を好んで飲む人」のことを指す言葉として用いられます。そもそも「辛い」という言葉は「舌を刺激するような鋭い味覚」という意味があり、酒のようなアルコール度数が高く、甘味の少ないものが好きな人を指す言葉として当時は用いられていました。

 

現在では、唐辛子などの香辛料が多く流通していることもあり、カレーやキムチなどの辛い料理を好んで食べる人を「辛党」と誤用している人が増えてきているようです。

 

琴線に触れる(きんせんにふれる)

「琴線に触れる」といった言葉の意味を、多くの方は「怒りを買う」「癪(しゃく)に障る」と思い込み誤用しているケースがあります。しかし、実際は不快な感情を表す言葉ではなく「心の奥に秘められた心情を刺激し、感動や共鳴を与えること」を意味するのです。

 

もともと琴線(きんせん)とは、琴の糸の部分を指しており、ピンと張った糸を弾く様子が物事に感動する瞬間の心情を表すものとして比喩的に用いられていました。

 

テレビや映画など、外からの刺激に深く感動したときには、ぜひこの言葉を使ってみてくださいね。

 

失笑する(しっしょうする)

呆れて笑いも起こらない様子を表現する際に、「失笑する」といった言葉を使う方はいませんか?もしこのような認識で使われている方がいたら注意してください。

「失笑する」とは、決して笑っていない様子ではありません。

むしろ「こらえ切れずに吹き出してしまうほど笑う」際に使われる言葉なのです。

 

失笑の「失」の字は「失う」のではなく、内側に抑えていたものを外に出してしまう「失言」や「失火」といった言葉と同じ意味があります。

最初は静かにこらえていた笑いが、次第に「クスクス…」と我慢ができなくなり最後には声を出して笑ってしまう、そんな様子を「失笑する」というのです。

 

確信犯(かくしんはん)

「やってはいけないことと分かって罪を犯した。あの人は確信犯だ」

そう聞くと何も違和感がないように思いますよね。この「確信犯」という言葉、実は7割程度の方が誤って解釈しているのをご存知でしょうか。

 

多くの方は「悪いことだと理解しているにもかかわらず、犯罪またはその行為を行う人」のことだと思われているのですが、本来の意味は「政治的・思想的または宗教的信念に基づいて、正しいことだと確信して行う行為」だというのです。

ネガティブな印象の強い「確信犯」という言葉。自身が正しいことだと思い信念に基づいてなされた行為も、「確信犯」というのだそうです。

 

姑息(こそく)

「姑息な手段を使う」卑怯な人を指す言葉として使われがちなこの日本語。確信犯に続き、ネガティブなイメージのある言葉として多用されていますが、正しくは「一時の間に合わせた物事」を指す言葉として用いられていました。

 

「君子の人を愛するや徳を以もってす。細人の人を愛するや姑息を以もってす。」

 

古来、周から漢にかけて儒学者がまとめた礼記という書物に記載された言葉です。

「徳を以もってす」自身のすべてをかけて無償の愛を捧げる君子と、「つまらぬ人」という意を指す細人の見返りを求めようとする一時しのぎの薄っぺらな2種類の愛情があることを意味する故事です。

「姑(しばらくの間)息(休む)」という意味をもつ姑息という言葉ですが、「一時しのぎ」というニュアンスで使用した場合、使い方によっては「卑怯者」と捉えられてしまうことから、次第にその意味を誤って使う人が増えてきたのかもしれません。

 

檄を飛ばす(げきをとばす)

よくスポーツ選手に向けて「檄を飛ばす」という言葉を耳にすることがあるかと思います。

頑張っている人を励まし、気合いを入れるために使われる言葉だと認識している人は多いですが、本来の意味はそれとは異なります。

「檄(げき)」とは、古代の中国で招集または説諭のための文書のことで、「檄を飛ばす」は「自身の主張を、広く多くの人々に知らせて、同意を求める」という意味なのです。

まったく意味の異なるこの日本語ですが、その理由のひとつに「激励」の「激」と「檄を飛ばす」の「檄」が混同してしまったからなのではないかといわれています。

 

誰かを元気にするために使うのではなく、自身の考えをより多くの人に主張し賛同してもらう際に使ってみてはいかがでしょうか。

 

気が置けない(きがおけない)

「あの人はどこか気が置けない」どこか緊張感があり、気配りや遠慮をしなくてはならない人に向けて使われがちな日本語。

しかし、実際はその反対で「遠慮や気遣いをする必要がない」、つまり気が許せる相手に使われる言葉です。そしてさらに、「気が置けない」と対となる言葉として、気が許せないという意味を指す「気が置ける」という日本語もあるのを皆さんはご存知でしょうか。これだけ聞くと少し混乱してしまいますよね…。

 

本来はこのふたつがペアとなって用いられることが多い言葉なのですが、時代とともに「気が置ける」が使われなくなり、本来の意味を知らないまま言葉通りに「気が置けない」をネガティブに捉える方が増えてきたことが原因といわれています。

 

ですので、大切な家族や友人は、皆さんにとって「気が置けない人」にあたるのではないでしょうか。

 

いかがでしょうか。

こうしてみると、日本語の奥深さや難しさを改めて認識する良いきっかけになったのではないかと思います。ぜひ、興味のある方は今一度日本語の誤用について今一度調べてみてはいかがでしょうか。まだほかにも誤って使っている日本語があるかもしれませんね。

 

(参考:文化庁ホームページ

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