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命がけ?

2020年04月10日

現在の化粧品は安全性が高く鉛や水銀は使われていません。当たり前ですよね。
しかし、何と明治までの白粉は酸化鉛や塩化水銀の粉末でした。
当然、毒です。
当時の女性は命をはって化粧をしていたのです。
そして被害は女性だけでは無く将軍にも影響します。
大奥は時代とともに華美になり、女性は白粉を顔に塗るだけでなく胸や背中にまで塗るようになりました。
将軍の乳母も例外では無く、将軍は鉛入りのオッパイを飲んで成長したのです。
幼くして鉛中毒になっていた可能性は十分ですね。
13代将軍徳川定家は病弱でしたが、脳性麻痺を疑わせる症状があったと言う説もあり鉛中毒だった可能性があります。
また、将軍家ではだんだん男児の出生が少なくなり、御三家から将軍を迎えるようになりましたが、これも鉛中毒のせいではと言う説もあります。
歌舞伎役者め被害者で、さすがに明治時代になると鉛の害が問題となり無鉛の白粉も出回りましたが、延びが悪いといって相変わらず鉛入りが人気だったようです。
天皇を迎えた歌舞伎の天覧舞台で役者の中村福助が鉛中毒による痙攣が現れ大きな問題となります。
これを契機に明治33年に鉛入りの白粉が使用禁止となりました。
さらにヨーロッパの人々は白粉を化粧以外にも使っていました。
彼らはワインの酸味を消す為に酸化鉛の粉を加えていたのです。
特にベートーヴェンは大好きで、彼の髪からは通常の100倍の濃度の鉛が検出されたそうです。
ベートーヴェンの難聴は鉛中毒のせいだと言う説もあり可能性は高そうですね。
ということで、今回は毒性のある白粉を歴史的に見てみました。
 
  藤枝事務局所属 T.U先生
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